架空鉄道『越後鉄道』越後平野に都市間電車が駆け巡る。

はじめに

 越後鉄道は越後平野に147.2 kmの路線網を広げる地方私鉄であり、おもに新潟と長岡を結ぶ都市間輸送を担うほか、越後平野とその周辺に点在する燕、三条、柏崎、小千谷といった各都市への足としての役目を負っている。
 現在、越後鉄道は万代橋-柏崎間を越後線、吉田-弥彦間を参宮線、吉田-東三条間を三条線、長岡-大河津間を長岡線、西長岡-西小千谷間を小千谷線として運行している。これらの路線の形成は一朝一夕に成ったものではなく、次のような経緯のもとに建設が行われた。
 もともと越後鉄道は内陸側を通る信越本線に対し、日本海側を通るルートで新潟と柏崎を結ぶことを意図して建設された路線である。当時の新潟側のターミナル白山と柏崎の延長はおよそ80 kmにおよび、現在の感覚からすれば地方私鉄としては長大な部類に入る。新潟から東京へ向かうには信越本線もしくは磐越西線に頼るほかなかった時代、新潟から柏崎までを直線状に結ぶ越後鉄道は新潟から東京への短絡ルートとしての性格が強かった。
 昭和初期に至り新潟と東京を直接結びつける上越線の開通が迫ると、越後鉄道はその終点である長岡を目指すようになる。そこで、来迎寺から西長岡を経由して寺泊までを結んでいた長岡鉄道を合併し、これに前後して全線の電化工事を進め、新潟-長岡間の都市間電車へと生まれ変わる。その後、大河津短絡線の建設、西長岡から長岡、白山から万代橋へのターミナル駅の移転を果たし、都市間電車としての体裁を完全なものとした。
 都市間電車への脱皮に欠かせない役割を果たしたのが、三条線である。三条線はもともと東三条(開業時は一ノ木戸)から吉田を経由して弥彦へ至る参宮線の一部として建設された路線だが、電化を前に五十嵐川の支流である笠堀川に自社水力発電所を建設するため、東三条から八木まで延伸がなされる。三条線によって輸送された資材により笠堀水力発電所の建設が進められ、越後鉄道全線の電化に貢献した。
 戦後に至り、越後鉄道は魚沼線の復活に携わる。魚沼線はもともと魚沼鉄道によって建設された軽便鉄道だが、上越線の建設にともない補償の一環として国有化された後、戦時中に不要不急線として休止されていた路線である。魚沼線復活に対する地元からの強い要望とそれに絡む代議士のはたらきにより、越後鉄道が小千谷線として復活させる。この際、非電化・762 mm軌間であったものから、1500 V電化・1067 mm軌間にて敷設されなおされた。
 このようにして地方私鉄としては破格の路線網を広げた越後鉄道だが、中には既に廃止された路線も存在する。まず笠堀水力発電所の建設に貢献した三条線東三条-八木間であるが、戦時中に不要不急線として廃止されている(なお、笠堀水力発電所は電力事業の国家統制のために越後鉄道の手を離れたのち、現笠堀ダムの建設により消滅している)。更に長岡鉄道から引き継いだ大河津-寺泊間が戦後、自動車交通の発達とともに廃止されている。
 新潟や長岡へ特急電車が軽やかに駆け抜けていくその陰で、路線の存廃問題がつきまとっている。越後線大河津-柏崎間や小千谷線来迎寺-西小千谷間では沿線人口の減少が著しく、利用客の低迷がつづいている。前者においては地元自治体と協議の上、上下分離方式や補助金の導入がなされているが、後者は調整が難航しているのが現状である。

路線

路線図(空想鉄道にジャンプします)

車両

車両の概要

ナビゲーター
【ネコミミ】
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【メイド】
Q. 好きなおでんの具は?
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