越後鉄道の本社は、万代橋駅から白山公園駅の方へ向かって少し歩いたところの高架下にあった。ちょっと見ただけではまさかここがあの地方私鉄の雄とされる鉄道会社の本社だとは思わないような見た目をしている。しかし、建屋の入口の前まで来てみると、玄関扉の横に「越後鉄道株式会社本社・鉄道部」と麗々とした筆文字が書かれた木札が掲げられていた。
梁川が扉を開けて入ると、後からネコミミもおずおずと入る。玄関ホールの中は、外観に反して現代的な内装にまとめられていた。
「やあ、中は結構綺麗だねぇ」ネコミミが小声でささやいた。
「さすがに、ね。とりあえず二ツ岩さんを呼ばないとな」
梁川はそう言うと、玄関ホールの片隅に置かれた電話機に向かい、受話器を上げた。
「もしもしあの私、鉄道振興会の梁川と申しますけども、鉄道部長の二ツ岩さんはいらっしゃいますでしょうか……あ、もうこちらへ向かってる。承知しました」
梁川が受話器を置くまでもなく、廊下の方から足音が聞こえて、
「お待たせしました。二ツ岩です」
現れたのは、体格のいい垂れ目気味の中年男性であった。鉄道会社らしく制服をかっちりと着こんでいる。
「お世話になります。鉄道振興会の梁川です。そしてこちらは……」
「おや、化け猫さんですか」二ツ岩は、ネコミミの方を見て言った。
「あっはい、朝日奈と申します」
「あなたが朝日奈さんでしたか。いつも読んでますよ、振興会誌の記事。――立ち話もなんですから、中へいらしてください」
挨拶も早々にネコミミと梁川は、二ツ岩に先導されて応接室へと通された。高架下の建屋にいるというのに、この応接室の中は意外に静かであった。
その後、名刺交換や手土産を渡すなど一通りの儀礼を済ませ、改めてネコミミと梁川、二ツ岩は向かい合って座りなおした。
「もし違ったら失礼なのですが、佐渡の出身でしょうか」ネコミミが会話の口火を切った。
「さすがですね。すぐに気がつかれましたか」二ツ岩は顔をほころばせた。
「『佐渡の団三郎』といえば有名な化け狸です。東日本一帯の狸たちを統べる頭目の」
「それほどではありません。ただのローカル妖怪ですよ。今となっては人間の社会に溶け込んで生活するので精一杯なわけで」
このような調子で二人の妖怪同士はすっかり打ち解け、妖怪トークで盛り上がりを見せつつあった。梁川はその様子を蚊帳の外から眺めながら、現実感のない人たちだなぁと思った。
しばらくしてから梁川は話を本題に戻した。
「今、我々は地方私鉄における最新技術の活用というテーマで振興会誌に記事をまとめようと思っています。二ツ岩さんが2022年の『車両の科学』誌に寄せた記事を読みました。その中に『数年後を目途にAIを活用した運転支援システムを構築する』という一文がありましたよね。記事の中では具体的な例は出されていませんでしたが、あれから年数がしばらく経ちまして、どのようなシステムを作られているのかお話を伺いたいと思いまして……」
梁川が喋っている中、応接室の扉からノックが鳴った。
「お茶をお持ちしました」
入ってきたのは若い女性であった。端正な目鼻立ちで、長い髪をポニーテールにしてまとめていた。そして、やはり鉄道の制服を着ている。手には盆を持ち、その盆の上には湯呑が並んでいた。女性はネコミミと梁川の前に来ると、手際よく湯呑を置いていった。
「ありがとうございます」とネコミミが言うと、女性は、
「ゆっくりしていってください」と言って微笑んだ。
「実は、弊社の『AIを活用した運転支援システム』というのは彼女のことでして」二ツ岩はそういうと、イカラシの方へ手を差し向けた。
「ええっと、この方がシステムの開発を行っているということですか」ネコミミが不思議そうな声を上げる。
「いえ、彼女自身が運転支援システムなのです」
「運転指令をされているのですか」梁川が言った。
「いいえ、わたくし自身がAI搭載の運転支援ヒューマノイドなのです」イカラシが言った。
ネコミミと梁川は、絶句した。その様を見ながら二ツ岩は、ゆっくりと湯呑を持ち上げてお茶に口をつけた。
「イカラシさん、悪いんだけど見せてあげてくれる」
二ツ岩がそう言うと、イカラシはその場でしゃがみ、ポニーテールの後ろ髪をかき上げてうなじを見せた。
「ここをご覧ください」
ネコミミと梁川は腰を浮かせて恐る恐るイカラシのうなじを覗いた。そこには、肌の上に浮き彫りされた“銘板”が刻まれていた。
『ヒヨリヤマ形ヒューマノイド〈イカラシ〉 新潟重工業株式会社』
「これでお分かりいただけましたか」二ツ岩が低い声で言った。
「イカラシさん、結構です。お立ちください」梁川は困惑した声でイカラシに言った。イカラシはかき上げていた髪を戻して整え、ゆっくりと立ち上がった。
「しかし、ヒューマノイドとは……世界中で試作こそされていますけど、実用にこぎつけた例はまだないはずです。しかもここまで精巧なものは……」梁川が言った。
「僕も最初に見たときは驚きました。AIを使った運転支援システムと言っても、当初は踏切の障害物やホームの旅客の動きを検知して、運転士に知らせるようなものを考えていました。そういうシステムを提案して欲しいと、地場の重工メーカーである新潟重工業に依頼したところですね、ヒューマノイド運転士というものを提案して来ました」
「それは依頼と提案が食い違ってやしませんか」ネコミミが口を挟んだ。
「まあそれはそうなんですが、ヒューマノイドであればAIによる判断で安全運行が可能ですし、更に……弊社もその乗務員不足が深刻なのでして、その面も解決できると提案されまして」
「新潟重工業と言えば、プラントから鉄道車両まで何でもこなすメーカーだと思いましたが、ヒューマノイドを開発していたんですね」梁川が言った。
「はあ、何でも随分前から極秘裏に進められていたとかで、実はまだイカラシのことも公表していません。もちろん、局には説明していますが」
「もう乗務はされているんですか」ネコミミが言うと、イカラシが口を開いた。
「ええ、ここ半年あまり乗務させていただいております。まだ実証実験中ということで指導の方が横についていますが。見習いというところです」
「なるほど。しかし、ヒューマノイド開発についてどうして公表されないんですか」梁川が尋ねる。
「元々、新潟重工業から完成度を高めて実用できるようになってから公表したいという意向があったからです。あと、いくら指導運転士がつくとは言え、ヒューマノイドの見習いがハンドルを握るということは社会的にも波紋を呼ぶかと思いまして、それもあって実用の目処が立ってから公表したいと考えていたんです。とはいえ、既に近日中に発表することになっています。ただ、やはりお付き合いと言いますか、地場の新潟新報の新聞に最初に載せたいのです。ですから、この取材の結果は、新潟新報に記事が出たあとにしていただきたいのです」
「分かりました。そこは考慮いたします」
「まあ、とにもかくにも百聞は一見にしかずと言いますでしょう。彼女の働きぶりを見てみてください。彼女は、このあと内野の乗務区に向かいまして、内野から吉田まで新長岡行きの特急に乗務します。我々は、昼食のあとにここからその列車に乗りましょう。内野から乗務員室に立ち入れるように手筈も整えています」
「それは願ってもないことです。ありがとうございます」ネコミミは嬉しそうに身を乗り出して言った。
「それでは内野でお会いいたしましょう。一旦ここで失礼します」そう言うとイカラシは、応接室から出ていった。
「それじゃあ少し早いですけれど、昼食を摂ってきてください。そのあと十二時半に万代橋駅の中央改札で待ち合わせましょう」