ネコミミ、越後鉄道へ行く 3

2話へ戻る

 昼食を終えたネコミミと梁川は、万代橋駅のコンコースの隅に立っていた。二ツ岩との待ち合わせ時刻までまだしばらく時間があった。昼時のコンコースは人影もまばらだが、ネコミミと梁川の立つ場所のちょうど向かいにある立ち食い蕎麦屋の周りにだけは人だかりができていた。
「さっきの話……信じられる?」梁川がネコミミに向かってつぶやいた。
「信じるしかないだろう。ありのままのことを書くしかないよ」
「でも、現実感に乏しいなぁ」
「お前さんね、化け狸や化け猫が実在する時点で現実感というものは相当いい加減だとは思わないかい」ネコミミは自らの頭にある猫の耳を片手で触りながら言った。
「妖怪の存在はもう現にいるのだから致し方ないものだと思っているよ。自然と人が共同で生み出したハルシネーションのような存在だと、そう言っていたのはキミだったね。だけれど、ヒューマノイドは違うだろう。どこまでも人工的な存在だよ。人知の手によるものだからこそ不思議なわけでさ」
「事実を問いただすときの基本原則、5W1Hが欠けているのは確かだね。彼女の存在を説明するには、When(いつ)、Where(どこで)、Who(誰が)、What(何を)、How(どうやって)がどれも欠けている」
「製造元は新潟重工業と言っていたな。いちばん気になるのは、何のためにヒューマノイドを開発したのかというところだなぁ。最初から運転支援システムだなんて称して運転士ヒューマノイドなんか普通作らないだろう」
「鉄道業界だって人手不足だからね。ヒューマノイドを開発してくれさえすれば導入したい鉄道会社はごまんとあるだろうさ。だけど、この業界はいかんせん保守的だし、何よりも誰もその開発費が払えないだろう」
 そのとき、ホームに電車が入ってきた。内野からやってきた区間列車である。万代や古町へ買い物に行くのであろう人や、昼で講義が終わったらしい大学生などがまばらに降りて来た。束の間の喧騒がコンコースに響き渡る。改札には駅員が立っているが、ほとんどの人はICカードを利用しているようで、駅員は手持無沙汰な顔をしていた。
 ネコミミと梁川は、大勢の人たちが改札から出口の階段へとぞろぞろ歩いていく様を黙って眺めていた。やがて、ふたたびコンコースは森閑とした雰囲気になった。周りに人がいなくなったことを確認して、ネコミミは口を開いた。
「イカラシさんは他の何らかの目的のために開発されていて、鉄道用へ転用された。そう考えるのが自然かな」
「どこかの誰かさんがヒューマノイド開発を新潟重工業へ依頼したとして、今まで極秘で開発していた理由って何だろうね。ヒューマノイドほどのものなら、投資を呼び込むために大々的に宣伝をするはずだと思うのだけれど」
「人手をかけられず、なおかつ開発資金がある程度あって、極秘でなければならない業界ね……。うーん」ネコミミは、ため息をつきながらふたたび自らの猫の耳を触った。
「……まさか、軍用とか考えてるんじゃ」
「肯定も否定もできませんね」いつの間にかネコミミと梁川の後ろに二ツ岩が立っていた。
「わっ、二ツ岩さん」ネコミミは目を白黒させながら二ツ岩の顔を見上げた。
「すみませんね、驚かせてしまったようで。ついこの裏が駅事務室の扉なもので」
「いや、別に勘繰るつもりはなく、単に不思議に思っていただけでして」梁川が慌てて釈明するが、ネコミミはそれを聞いて言い訳が下手だなと思った。その様子を見ながら、二ツ岩は落ち着いた声で喋りはじめた。
「イカラシは鉄道用に開発されたヒューマノイドです。ただ、そのベースとなったヒヨリヤマ形ヒューマノイドは別の目的のために開発されていたようです。私も詳しいことは知らされていないのですよ。当初の発注主の元へそれが納入されたのかさえ分かりません」
「……」二ツ岩が喋っている間、ネコミミはただ押し黙っていた。
「本題に戻りますが、このあと13時ちょうど発の新長岡行きの特急列車に乗ります。内野で運転士が交代しまして、そこからイカラシが乗ってきます。そこで我々も乗務員室に入りますから、この腕章をつけておいてもらえますか」と言うと、二ツ岩はネコミミと梁川に緑色の腕章を手渡した。腕章には「添乗員」と書かれていた。
 それから、ネコミミと梁川は改札で腕章を見せてホームへと入った。二面三線の頭端式ホームのうち、もっとも川沿いにある一番ホームには、先ほど到着した電車が停まっていた。万代橋と内野を行ったり来たりするだけの区間列車ということもあり、二両しかつないでいなかった。相変わらず閑散としたホームだが、電車の床下から電動発電機と空気圧縮機の動作音が鳴っており、ドロドロドロ……という音が屋根に反響して賑やかな雰囲気を醸し出している。
 ネコミミと梁川は、そのホームの様子を写真に収めたり、停まっている電車の室内を覗いたりしていた。そうしている間に乗客が三々五々集まって来た。二両編成の電車は、座席がほぼ埋まる程度の客入りだ。
 チャイムが鳴り、『お待たせしました。一番線から内野行き普通、ただいま発車します』という放送が流れると、ブザーが鳴り、それと同時に発車標に表示されていた案内が消灯した。やがて、ブザーが鳴りやむと、運転室から後ろを監視していた運転士が、客用扉を閉め、少し間を置いてから列車が発車していった。
「放送はどうやってコントロールしているんですか」ネコミミが二ツ岩に尋ねた。
「運行管理システムを通じて自動で放送しています。もちろん発車標も自動で表示が切り替わるようになっています。今、内野行きの普通が出ていきましたから、もうすぐ長岡行きの特急が来ます。接近にも応じて到着放送が流れますよ」
 二ツ岩がそう言うやいなや、頭上のスピーカからチャイムが鳴った。『まもなく、二番線に列車が参ります。黄色の点字ブロックまでお下がりください。この列車は、折返し長岡行きの特急になります』という放送が流れ、ブザーが流れた。
 越後鉄道のフラッグシップである7000系電車が入線してきた。柔らかな流線形を帯びた前頭部に、ヒドゥンピラーが採用された大きな側窓など、特急用としての風格を帯びた車両だ。四両編成の列車からは、意外に多くの人が降りてきた。
「やっぱり聞くと見るとでは大違いだね」梁川がネコミミに言った。
「もうちょっと日車ロマンスカーばりの昔の名鉄NSR車並みのものを想像していたけれど、それよりずいぶん立派だよこれは」
 そのとき二ツ岩が、「車内の撮影をされますか。今のうちにどうぞ」と言った。その言葉を受けて、ネコミミと梁川はすぐ傍の開いている扉からいそいそと車内へ入った。
 車内はブラウンを基調とした暖色系のカラーでまとめられていた。ずらりと並んだ腰掛は、リクライニングシート……ではなく、意外に簡素な転換式クロスシートであった。そのことをネコミミから尋ねられた二ツ岩は、「有料特急といっても一乗車200円で、座席指定でもありませんからね。乗車される時間も平均三十分、長くても一時間強ですから」と説明した。
 ネコミミと梁川が車内各所の撮影を終えると、少しずつ乗客が乗り込んできた。スーツを着込んだビジネスマンや百貨店の紙袋を提げた買い物帰りの人が目立つ。ネコミミと梁川、二ツ岩は運転室の背後に立って、人々が乗り込んでくるのを眺めていた。
「新長岡まで乗り通す方が多いのでしょうか」梁川が二ツ岩に尋ねた。
「そういうわけでもありません。巻や吉田で半数が降ります。特急料金が安いですから、皆さん結構気軽に利用されるようです。時間帯によっては高校生も乗って来るんですよ。回数券を友達同士で買ってシェアしていると聞きます」
「ははぁ、なるほど」
 そうしているうちに発車時間が近づいてきた。どこからともなく運転士がやってきて、発車の準備をし出した。ネコミミは、二ツ岩が用意してくれた踏み台の上に乗って、運転室の中を覗き込んでいる。
 やがてチャイムが鳴り、アナウンスが流れる。『お待たせしました。二番線から新長岡行き特急、ただいま発車します』
 発車のブザーが鳴った。

4話へつづく

Page Top