列車はごとごとと分岐器を渡ると、高架橋の上をゆっくりと走り出した。左手には信濃川を望み、はるか前方には角田山と弥彦山の山影が小さく見えていた。
少しも走らないうちに白山公園駅と白山駅に立て続けに停車。二ツ岩によれば、「白山の辺りに役所や病院が集まっているので、どちらの駅とも結構乗降者数は多いんですよ」ということ。
白山駅を出てようやく列車は本式に加速をはじめた。
『本日は、越後鉄道をご利用くださいましてありがとうございます。この列車は、新長岡行きの特急です。この先、停車します駅は、内野、巻、吉田、与板、西長岡、終点新長岡です』と自動放送が流れる。
関屋駅を過ぎると関屋分水路を渡り、新潟島の外へと出る。列車は複線の線路を快調に飛ばしていく。
「見てのとおりこの辺りは砂丘地帯です。線路は砂丘の中腹部を横切るように通っていますから、左手の眺めが非常に良いんですよ」と二ツ岩が言った。確かに家々の切れ目から越後平野が眼下に広がっているのが見える。
「結構坂が多そうな土地ですけど、家がかなり建てこんでますね」ネコミミが尋ねる。
「越後平野は元々水はけが悪いですからね。砂丘の上の方が水害に強い土地として好まれるんですよ。特に六十年前の新潟地震の後、新潟の市街地は液状化でかなりやられましてね。そこから避難してきた人が沿線に新たに住居を求めて住宅開発が進んだという面もあります」
青山駅、小針駅、寺尾駅、坂井駅と小駅を次々に飛ばし、またところどころで万代橋行きの列車とすれ違いつつ、列車は新潟砂丘を降りていよいよ内野駅に近づいていく。
内野駅は検車区や運転区が併設されている運転上の拠点となる駅である。したがって、ここで乗務員も交代する。先に内野駅に行っていたイカラシは、点呼を終えてここから運転士として乗り込んでくるはずだ。
内野駅の構内に入ったとき、「ほら、あそこにイカラシがいますよ。横にいるのが指導運転士の小林です」と二ツ岩が言った。ネコミミは目を凝らしてホームの先を見ると、確かに二人が立っているのが見えた。
列車が停まり、扉が開いた。ここまでハンドルを握ってきた運転士は、慌ただしく降車の準備をし、ホームへと降り立った。
「お疲れさまですー」ここまでの運転士が制服の裾を払いながら軽く敬礼した。
「お疲れさまです」イカラシが返す。
「特に異常はありません。乗車率は六割程度、そこそこの入りですね。あと“お客さん”がいらっしゃいますので後ヨロシク」
「異常なし、承知しました。取材の件ですね。承知しました」
運転士同士の交代が終わり、イカラシはいそいそと発車の準備をしている。その間に小林が運転室の仕切戸のラッチを外して手招いてくれた。
7000系電車の運転室は、一般用の車両と比べて多少広いということになっている。ただそれは図面上の寸法ではという話であり、実際には五人も入れば満員になってしまうありさまである。客室から見て左手にある運転席にはイカラシが座り、その横に小林が立った。真ん中にネコミミが例によって踏み台に乗って立ち、その横に梁川が立った。二ツ岩は右端に立った。進行方向右手にホームがある駅では二ツ岩が車掌スイッチを扱うためだ。
イカラシは落とし窓を下げ、ホームの方を睨んでいる。やがて「乗降終了!」と喚呼すると、顔はホームの方を見たまま、左手で車掌スイッチを押し下げ、扉を閉めた。
イカラシは運転席に座ると、計器盤に居並ぶ計器やモニター類を睨みつけ、戸閉め知らせ灯が点灯していることを認め「ドア閉!」、そのまま視線を前面ガラスの先に向けて「本線、出発進行! 次、巻停車」と喚呼した。
マスコンハンドルを一ノッチに投入した後、特に抵抗なく列車が動き出したことを感じてから、そのまま四ノッチまで押し下げる。列車はぐぐっと加速度を高めていく。
内野駅から先は単線区間である。広い広い田園地帯にただまっすぐ線路が伸びている。列車は快調に速度を増していき、100 km/hで巡航する。秋晴れの越後平野はすっきりと晴れて、目の前には弥彦山と角田山が大きくそびえていた。そしてその後ろにはうっすらと佐渡の山々が寝ているのが見える。
「この辺りはですね、見ての通りすっからかんなんですよ」小林がネコミミに耳打ちした。
「見通しはいいですよね」ネコミミが言った。
「雪が降ると遮るものが何もありません。全くのホワイトアウトというやつで、信号の灯りも見えなくなるんですよ。あと何と言っても……」
「何と言っても?」
「雪が無くても真っ暗な中を走ることは運転士としては不安なんですね。家とか木とか周りに何かがあればヘッドライトの明かりが反射して辺りの状況が分かるものですが、こうも何もないとね……」
「だからうちの電車は、3000系からみんなヘッドライトを腰だめに置いてるんだよな。足元を照らすように」二ツ岩が横やりを入れた。
「意外です。ヘッドライトの位置で変わるものですか」ネコミミは驚いたように言った。
「先代の2000系なんか――あれはヘッドライトがおでこにありましたから――でこの区間を走ると、明かりが暗闇に吸収されて不安でしたねぇ」
気がつくと越後赤塚駅が近づいていた。既に西内野駅は通過していたらしい。
「本線、場内進行! 制限85」とイカラシが喚呼した。越後赤塚駅は島式ホームの交換駅で、対向の線路には万代橋行きの普通列車が退避している。越後鉄道の多くの交換駅は一線スルー化されているため、特急列車は大きく減速することなくそのまま通過できるのだが、越後赤塚駅のホームは大きく湾曲しているために速度制限が課せられている。
越後赤塚駅を通過し、しばらくして越後曽根駅も通過する。列車は角田山を右手に眺めながら、巻駅へと近づいていった。
「本線、場内注意」そう喚呼すると、イカラシはブレーキハンドルを扱った。ぐっと身体にかかる減速度。ネコミミはふらつかないように目の前にあった手すりを強く握った。
「その三本目の柱のところで抜いて、もうちょい待ち……そこで抜く」小林がイカラシに話しかける。
列車はするすると停まり、イカラシは落とし窓を下げて「停止位置よし」と喚呼すると、車掌スイッチを扱い、扉を開けた。
「さすがヒューマノイド、ブレーキも上手いですね」ネコミミが小林に言った。
「これでも最初はひどいもんでした。本当の人間の見習いと同じように教えてやる必要がありましたね。AI搭載というのがミソで、ある程度のことは知っているんですけどね、細かいノウハウというか人間的な感覚のことは直接我々で教えてやる必要がありました」
「なるほど、精巧にできているからこそ人間と同じ教習が必要だったんですね」
再び列車は走り出し、今度は弥彦山の麓を走るような恰好となった。ハンドルを握るイカラシの背中ではポニーテールに束ねられた髪が、少し下げられた落とし窓から入ってきた風になびいて揺れている。
「イカラシのAIは非常に優秀です」二ツ岩が言った。
「そのようですね。まさに人間のようです」梁川が受け応える。
「ホームや車内の様子から乗車率をざっくり算出して、それで加減速の具合を調整してくれます。もちろん天候も自分で判断してブレーキを掛けるタイミングを調整します。運転できる車両も7000系だろうと5000系だろうと関係ありません。特別なプログラミングなども必要ないのです。我々が普通に見習い運転士に接するように教えればいいのですから」
「結構手間が掛かりませんか、それ」
「ええ、結局人間の運転士を育成するのと同じ期間が掛かります。でもはるかに物覚えはいいですよ。優秀です」
「あの、聞きづらいのですが、コスト的な面では……」ネコミミがおずおずと尋ねる。
「国からの設備の近代化に対する補助金が入っています。運転支援にAI導入ということへの画期性が認められて、結構予算をはずんでもらえました。それから、新潟県からの補助金も入っています」
「新潟県も結構理解があるんですね。これもAI導入への補助金ですか」
「いえ、観光予算です」
「なぜです」
「イカラシは『佐渡おけさ』を唄えます。ですから県の観光振興の補助金が下りました」
「うーん、なるほど」
【完】